ジュゼッペ・ヴェルディの人生は光りと陰に満ちたドラマそのものだった。
彼は最初に作曲したオペラ、“オベルト”で大成功をおさめて脚光をあび、オペラ劇場との長期契約が決まるが、その直後になんと最愛の妻と二人の子供を亡くすという暗闇のどん底へと突き落とされてしまう。そんな辛い状況下においても、契約してしまったが為に、皮肉にもコメディオペラ、“1日だけの王様”の作曲をしいられる。
出来上がった作品は失敗に終わり、二度とオペラ創作は行わないと絶望するが、劇場支配人と出版社の強い勧めと励まし、そして”ナブッコ”のリブレットとの運命的な出会いにより、作曲家人生に再び光りをみいだし、創作活動を再開する。それからは “マクベス”、“ルイザ・ミラー”、“リゴレット”、 “トロヴァトーレ”、“椿姫”、“シモン・ボッカネグラ”、“仮面舞踏会”、“運命の力”、“ドン・カルロ”、“アイーダ”、“オテッロ”、など数多くの素晴らしく完成度の高いオペラを続々と生み出し、最後にはコメディ・オペラの大傑作、“ファルスタッフ”をかきあげ、彼は自らの人生の幕を閉じた。
私はヴェルディが作曲した数々のオペラを聞くことにより、ある共通点にゆきついた。
それは登場人物達が、生きるために必死になって彼らの人生の主導権を握ろうとするが、常に何か彼らよりも大きな力がやってきて、彼らの人生を完全に支配してしまうということだ。ドラマの要素として、彼等の背後にはじわじわと忍び寄る暗い陰があり、悲劇は彼らのコントロール外にある。しかし登場人物達はいかなる困難な状況下においても、たとえどんな闇の中にいようとも、決して希望の光りをみることを諦めない。
それは一種のイタリアン・スピリットと共通しているかもしれない。
自分の運命があることは信じているが、ただ座って運命に導かれてゆくのを待つのではなく、自ら運命をかえてゆこうと試みる。
正義を強く信じ、悪意を持つ者には、必ず最後は天からの罰が下ることも信じている。
これら彼の信念により、彼の音楽の根には、人間の人生の暗闇から光りへの探究というテーマが存在すると感じる。
イタリア人の多くは、歴史的にも勇気を奮い立たせなければならない大切な場面で、ヴェルディを想い、彼の曲を口ずさむ。イタリアには偉大な音楽家が数多くいて、数えきれないほど多くの名曲があるが、それでもイタリア人にとってヴェルディは特別な意味と力を持つからだ。19世紀中頃、イタリアが一国家として統一される前の戦時下、北イタリア地方におけるオーストリア軍の侵略に抵抗して戦った市民達は、街のあらゆる所に”VIVA VERDI”と落書きをして回った。それには文字どおり “ヴェルディ万歳”と、偉大な音楽家を讃える意味もあるが、実はそこには “VIVA Vittorio Emanuele Re Di Italia”、すなわち“ヴィットリア・エマニュエレ・イタリア国王万歳”の頭文字が隠されていた。
ヴェルディ自身、イタリアの独立と統一を唱え、レジスタンス運動を支え、危険な状況下において言葉ではいえない政治的メッセージを音楽の中にをおりこみ、 自由と芸術の為にあらゆる困難に立ち向かい奮闘した。そしてどんな時も希望を信じてあきらめることなく、素晴らしい作品を誕生させた。彼の音楽には、 “人生には絶望の中においても、その先には必ず一筋の光りがある”という希望を与えてくれるメッセージがあり、多くの人々は彼の音楽に励まされ、希望を信じて困難を乗り越えてきた。
また彼はミラノに"Casa Verdi"を設立し、引退した音楽家達が安心して暮らせる設備を整えるという、貴重な社会的貢献もしている。正にヴェルディはイタリア人にとって国民的英雄であり、人生の師である。
ヴェルディは人生がもたらす運命の “闇”を真に経験していた。だからこそ彼は人生における尊い “光り”の存在を心から喜びをもって受け入れることを実感していたのだと思う。
私は本を読んでヴェルディの人生をひも解くことだけではなく、彼の音楽を聞くことを通じて、彼がいかに人間的な人物であるかを理解した。音を通してこんなにも人々とコミュニケートできるという特殊な才能と知識と技術をもったヴェルディをさらに深く理解するためには、ヴェルディになってみる、すなわちヴェルディを演じてみる事が一番だと気がついた。
今宵は私、ダリオ・ポニッスィがジュゼッペ・ヴェルディを演じ、皆様をヴェルディの音楽の世界、光りと陰の世界へとお連れしよう、、、
Dario Ponissi
Sept. 23rd, 2003 , Tokyo
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