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| 永竹 由幸 | |
| シェイクスピアは19世紀になって急にイタリアでも翻訳が始まり出版もされ、人気が出始めました。どうしてか? それは多分ナポレオン戦争で人々の意識が変わり、18世紀のゴルドーニやゴッツィの芝居が古い封建時代の時代遅れの感がしてだんだん人気が薄れ、またヴォルテールのドラマも何となく貴族社会への批判を意識した内容で、ドラマのプロットが不自然でオペラの題材にはなっても芝居としてはあまり上演されなくなっていました。それに反しシェイクスピアの戯曲には何の政治的意図はなく、しかもドラマの構成がしっかりしていて面白く、19世紀の教養ある市民に急に読まれるようになったのです。 ヴェルディが愛読していた作家は、シラー、バイロン、シェイクスピアでした。文豪の中で好きでなかったのはゲーテだったようです。何となく分かるような気がします。中でも一番好きなのはシェイクスピアだったらしいのですが、シェイクスピアのドラマは伏線が多く複雑でオペラ台本にするのが非常に大変なのです。当時のイタリア・オペラは上演時間が限られており、平均長くても2時間でした。ロッシーニの時代はまだ貴族社会の伝統が色濃く観客にとって時間は結構あったのでしょう。しかし19世紀も半ばにかかりだすと、人々の生活はだんだんと慌ただしくなり、そうそう長い時間劇場にのんびり出来なくなってきます。 そういう時間制限のなかでシェイクスピアのドラマをオペラ化するのは並大抵ではありません。ヴェルディ以前でシェイクスピアのドラマをオペラ化したもので有名なのは、ロッシーニの《オテッロ》と、ベッリーニの《カプレーティ家とモンテッキ家》ですが、これらのオペラは題材がシェイクスピアと同じというだけで、ドラマの筋立てはシェイクスピアが原作として使ったイタリアの中世末期の物語から新しくオペラ化したと言ってもよく、ベルリオーズなんかは、ロッシーニの《オテッロ》を観て、シェイクスピアを冒涜していると怒っていますが、それは的外れなんです。ロッシーニはシェイクスピアを原作としていないからです しかしヴェルディは、そういうイタリアの古い物語には興味をもたず、シェイクスピアのドラマにつんのめっていたのです、余談になりますがヴァーグナーもシェイクスピアには興味をもち、第二作の《恋愛禁制》は、シェイクスピアの『尺には尺を』です。でも彼は上演時間を考えないで台本を書き作曲しましたから、上演時間は3時間半ぐらいかかります。ヴェルディは売りものになるオペラを書く人ですから、そんなことはできません。しかしシェイクスピアをなんとかオペラ化したい、それで彼は悩みます。『ハムレット』は自分の作風には合わないと言ってます。to be or not to be は私の音楽では表現できないときっぱり言い切っています。それはそうでしょう、ヴェルディのストレートな音楽で、表現できるのは、to be なら to be だけ、not to be ならnot to be だけです。迷う音楽が書ける人ではないのです。そうした中でヴェルディが、オペラ化したかった題材は《リア王》でした。しかし何分にもテーマが大きすぎ、イタリア・オペラ・セリアの枠にどうしてもはまらないので、もしもそんなとき凄いスポンサーがいて、長くてもいいよ、大オペラを書けと金を出していたら、どんなオペラがで来たでしょうね。 ヴェルディは、義父バレッツィに亡くなった妻マルゲリータへの別れの挨拶と義父への感謝をこめて、オペラを一曲捧げる決意をします。そして一番好きな作家であるシェイクスピアから題材を選ぶにあたり、友人のマッフェイ伯爵とレコアーロの温泉で相談します。そして決めたのが《マクベス》でした。《マクベス》は迷いません。ストレートに野心をむきだしにして、そして破局に向かって突き進みます。これならストレートなヴェルディさんでも取り組めます。そして、この曲でバレッツィに義理を果し、ストレッポーニとの同棲生活に入ります。 それからかれこれ30年、ストレッポーニと結婚し、倦怠期を迎え若いシュトルツと浮気をし、妻が焼餅をやくのを見て、今度は嫉妬のオペラ《オテッロ》に取り組みます。ヴェルディにとってシェイクスピアは人生の節目節目の暗示的な作家だったようです。 |
| お問い合わせ: verdi@amber.plala.or.jp | |
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